
自己満足に浸っていた日々
その日、24歳の真由(まゆ)は、世界のすべてと和解しているような気分で歩いていた。
彼女の体型は、いわゆる「ぽっちゃり」。あるいは「マシュマロ女子」。もっとオブラートに包めば「健康的で愛嬌があるタイプ」。 友人たちは「真由っていつも美味しそうに食べるから好き!」と言ってくれるし、会社の先輩も「女の子はそれくらいの方が可愛いよ」と(お世辞半分だとしても)言ってくれる。
だから真由は、毎朝鏡を見るたびに、高度なセルフ認知歪曲フィルターを起動させていた。
「うん、ちょっと丸いけど、これは『女の子らしい柔らかさ』ってやつ。骨格ウェーブのポテンシャルを最大限に活かしているだけ。お腹の肉? 違う、これは内臓を守るためのクッション。私はデブじゃない。ただ、ちょっとだけ『スリムの伸びしろ』を残しているだけなんだから」
心の中では「いつかはもっとシュッとして、タイトなワンピースを着こなす綺麗なお姉さんになりたい」と思っている。思ってはいるが、ポテトチップス(関西だししょうゆ味)の誘惑に勝った試しはない。 「まあ、今のままでも十分可愛いし、いっか!」 そうやって自分を騙し騙し、ぬるま湯のような「ぽっちゃり天国」に浸かりきっていたのだ。
そう、あの日、あの瞬間までは…。
ダイエットを決意した瞬間

週末の午後。真由はトレンドの服やコスメが並ぶ、大にぎわいの繁華街の歩道を歩いていた。 お気に入りの(ウエストがゴム仕様の)スカートをなびかせ、ウインドウショッピングを楽しんでいた、その時。
向こうから、いかにも不機嫌そうな顔をした、くたびれたスーツ姿の中年男性が近づいてきた。
すれ違いざま、その男の視線が真由の体を一瞬だけいやらしくなめまわし、そして侮蔑を込めて突き刺さる。
(なんだかいやか感じ…)
真由がそう思った瞬間、
男はわざとらしく、しかし確実に真由の耳に届く音量で、吐き捨てるように呟いた。
「……チッ、デブだな」
その声は、雑踏の喧騒を切り裂いて真由の脳細胞に直撃した。
(えっ……?)
真由は足を止めた。心臓がドクンと大きく跳ねる。 振り返ると、男の背中はすでに人混みに消えかけていた。追いかけて「今なんて言いました!?」と詰め寄る勇気なんてありはしない。
呆然とその場に立ち尽くす真由の脳内で、これまで必死に築き上げてきた「マシュマロ女子の防壁」が、音を立てて崩壊していった。
【真由の脳内緊急裁判】 「異議あり! 周りはみんな可愛いって言ってくれてる!」 「却下。周りはただの大人。あの中年男は、利害関係のない第三者としての『生(なま)の現実』を突きつけてきたのだ!」 「でも、骨格ウェーブの柔らかさが……」 「現実を見ろ! あれはただの脂肪だ!!」
通行人の視線がすべて自分に向いているような気がして、急に恥ずかしくなった。
怒り? いや、違う。男に対して「なんて失礼な奴だ」という怒りよりも先に、胸を支配したのは圧倒的な「ふがいなさ」と「情けなさ」だった。
「私……気づかないフりをしてただけだ」
「ぽっちゃり」という便利な言葉の毛布にくるまって、現実の体重計の数値から目を背け、美味しいものを好きなだけ食べ、言い訳ばかりしていた自分。 見知らぬ他人に、通り魔的に「デブ」と言われても、一言も言い返せないほど、今の自分は自分の体型に後ろめたさを持っていたのだ。それが何より悔しかった。
真由は回れ右をして、駅へと向かった。 向かった先は、お気に入りのケーキ屋ではない。ドラッグストアだ。

棚に並ぶダイエットサプリや、プロテインのパッケージをじっと見つめる。 いつもなら「怪しいな〜」とスルーするコーナーだが、今の真由の目は、獲物を狙うスナイパーのように据わっていた。
「決めた!」
真由は、一番ストイックそうなプロテイン(ココア味)と、一冊のノートを掴んでレジに並んだ。
「あの男にお礼を言うつもりは爪の垢ほどもないけれど……」
私の『スリムの伸びしろ』を、これ以上眠らせておくわけにはいかないわ」
スマホを開き、検索窓に「本気 ダイエット 筋トレ」と打ち込む。 ぬるま湯から完全に上がった真由の心には、これまでになく熱い執念の炎がメラメラと燃え広がっていた。
明日から(いや、今夜の夕食から)、真由の「騙し騙しの人生」は終わりを告げ、本気のボディメイクが幕を開ける。次にあの街を歩く時は、誰の文句も言わせない、最高にキレキレの私になって歩いてやるのだと、彼女は強く心に誓ったのだった。

